ブサイクな毎日

羨ましい、ただそれだけの感情の話をする。

私はいつだって、いつ何時だって、誰かに嫉妬しながら生きている。

顔が可愛くていいなー、まつ毛が長くていいなー、足が長くていいなー、髪がサラサラでいいなー、声が可愛くていいなー、明るく生きれていいなーなんて、あげだしたらキリがない。本当にキリがないのでこの辺でやめておくことにする。

私は、人間生まれた時が人生のピークだと思っている。

母親、父親、その他諸々私の家族に関わったことのある人間が、見ず知らずの私にこの世に生まれてきたというたったそれだけの理由で祝福し、誰もが笑顔になって、時には泣き出す人さえいる。

失礼だが、馬鹿なんじゃないかと思う。私は絶対に子供なんか産まない。こんな理不尽な世の中に新しい生命を産み落とすなんて罪深いこと、首を絞められても私にはできそうにない。

反出生主義、なんて巷ではいうらしいが、そんな腫れ物に触るように一括りにされても困る。

少し話がズレたが、人生のピークの話だ。

人間は間違いなく生まれた時が1番人に好かれている。生まれた時が1番周りからの好感度が高い。そりゃそうだ。生まれた瞬間は性格がない。個性もない。意思すらない。嫌われる理由なんてない。その上子供は無条件で可愛い。子供を可愛いと思えるだけの感情は私にも少しだけ残されている。ありがたいことだ。

しかし、実体のない幸せもほんの僅かで消え去ってしまう。大人や周りのやつらはとやかくいうが、結局人生は落ちる一方だ。

コンプレックスに潰されて幸せなんか感じようもない。私がそういう人間なだけかもしれないが、幸せ〜なんてアホ面でほざいている人間のことは信用できない。幸せなんて現実味のないもの、感じている方がおかしいんだ。そう信じていたい。自分のためにも。

なぜ神とかいうバカは人間に差をつけてしまったのだろうか。最近の夜の脳内会議の議題はそれだ。

可愛い人、ブスな人、スタイルがいい人、悪い人、運動神経がいい人、悪い人、ポジティブな人、ネガティブな人、努力ができる人、できない人、才能がある人、ない人……

常に周りの人間に私よりすごいところを見つけては、死ねそうなほどの嫉妬を抱えてここまで生きてきた。

拗らせ過ぎて人にかわいい、かっこいいなんて褒め言葉は言えたもんじゃないし、頑張れの一言も言えない。頑張ってもらっちゃ困る。一生そこにいてくれればこんな私にでもいつか追いつけるかもしれない。でも、頑張られたら私には到底追いつけない人間になってしまう。周りの人間がそんな奴でまみれたら私はいよいよ劣等感で死に至るだろう。

アイドルや今をときめく女優、二枚目役者などがSNSで仕事の不満や病みツイートをするのが、共感する、と若者の間で人気だそうだが、私には意味がわからない。なぜそんなにも誰もが憧れる存在になって、死ぬほどちやほやされているのに満たされないのだろう。

アンチの言葉に傷ついたりでもしたのだろうか。そんなのクソ喰らえだ。99の褒め言葉と1の悪口で何を贅沢なことを言っているのだろうか。私は人に悪口を言われることより、誰にも褒めてもらえないことの方が怖い。

……少し言い過ぎたかもしれない。誰しも負の感情は持っていいものだ。たとえアイドルであっても。結局はこれもただの嫉妬だ。

もしも、泣きじゃくって、今にも死んでしまいそうな状態の私と、ただ愚痴を言っているだけの美少女がいたとして、そのどっちかにしか慰めの言葉をかけられないとしたら全人類が美少女の方に行くだろう。

それが羨ましくてしょうがない。同じ人間同士で圧倒的な格差を感じるのがどうしても許せない。しょうがないで割り切れない。

自分は特別じゃないと気づいた小学4年生の時から7年間、私の頭の中は世の中への不満で満ちている。